1、近代沖縄における標準語教育実践史として、関連する二つの課題の解明を行なった。一つは、学校教員が学校・教室において沖縄語を話すことを禁じようとしたことを示す方言札が、沖縄語が当然にも話されている学校空間において、沖縄語を禁じようとする政策と、大和人教員と沖縄人教員のそれぞれの教育実践意図の交錯する地平に、1900年代前半に出現したことを明らかにした。もう一つは、日清戦争後に「正しい」発音を児童に求めることを教育課題として談話会などの機会が設けられ、1911年の文部省視学官小泉又一の沖縄視察を契機として、沖縄県庁による沖縄教育会への諮問などにより発音矯正が全県的な教育課題へと展開していく過程を明らかにした。 2、近代沖縄における教育実践史の基盤として、沖縄県内全小学校を網羅して教育実践について議論していた沖縄県初等教育研究会に注目し、その開催状況及び論題を、『沖縄教育』や新聞『琉球新報』などはもとより、師範学校や同附属小学校に関する史料を収集することによって明らかにした。 3、前年度に引き続き、本共同研究の基礎史料である『沖縄教育』(1〜328号、1906〜1944年)の収集と整理を進め、沖縄県立博物館・美術館などで新たな収集を行なうことができた。散逸は多いものの基礎史料としての重要性に鑑みて現時点での総目次を作成した。 4、以下の構成からなる研究成果報告書を集成した。序研究のねらいと課題/I近代沖縄における方言札の出現/II1890〜1910年代の沖縄における発音矯正教育の展開/III近代沖縄における音楽教員の系譜/IV宮良長包作詞作曲「発音唱歌」(1919年)の教育実践としての特徴/V「沖縄県初等教育研究会」の基礎的研究/資料編『沖縄教育』_総目次(2009年2月現在)
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