昨年度までに収集した量的および質的データの整理を行った。すでに部分的な蓄積があった学校のデータを合わせ、戦前期の女子教育と階層文化の関連を明らかにしようと試みた。 1.明治初期、横浜に設立されたフェリス女学院の同窓会誌からデータを収集し、地域社会と教育と女性の近代社会へのかかわりを考察した。具体的には卒業生の上級学校進学状況と就職状況調査をもとに、同校の卒業生の、教育を通して女性の就業や社会活動への参加状況を時系列的に分析した。 2.次に、地方都市の女子ミッションスクールとして広島女学院の同窓会誌および報告書より、明治後期から昭和前期にかけての卒業生の住所を手がかりに、地域移動を分析した。生徒の出身家庭の職業からは「官吏」「軍人」など新中間層が多数を占め、東京などからの転勤者が女子ミッションスクールに子女の教育を託したものと思われる。しかし、ある時期から生徒数の急増とともに卒業後の県内定住者が増加したことと、保母養成課程の設置および音楽を通しての地域社会への貢献との関連を考察した。 3.最期に首都圏の女子ミッションスクールとして東洋英和女学院と青山女学院の学籍簿と家庭調査書を分析した。上級学校への進学準備教育へと転換した青山女学院と、家庭的な雰囲気で音楽教育と人格教育を重視した東洋英和女学院とを比較し、東京都内から比較的広く生徒を集めている青山女学院に対し、特定の地域、即ち、学校所在地である赤坂や麻布に集中している東洋英和女学院では、ある特定の階層文化をもつ集団がその帰属意識を学校と学校文化に求めたのではないかとの仮説を立てた。
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