今年度は、「読むことの「客観」幻想-マークシートのなかの入試現代文」(「九大日文」第7号、P73-97、2006年6月・九州大学日本語文学会)、「占領期の入試現代文」(「文学」第7巻.第6号、P80-95、2006年11月・岩波書店)、以上2本の論文を執筆した。前者は、大学入学試験におけるマークシート形式の普及によって、言葉で表現された世界に「客観」的な真実があるかのように見せかけることで階層社会の秩序を維持しようとする側の論理と、社会が硬直していくことへの懸念からそれを批判し、「読む」という能力を科学的かつ論理的に鍛えていくことが必要だとする側の論理が、奇妙に一致していくことを論証し、立場の違う人々が、それぞれに「客観」という幻想に過剰な期待を抱くような同床異夢のなかで共通一次試験という制度が実施され、それが私立大学をも呑み込むかたちでスタンダード化してきたことを指摘している。後者の論文では、占領期の日本にあってGHQ/SCAP内で文教政策を担当したCIE(民間情報教育局)が、アメリカ型の知能検査を導入して生徒の能力を多様な観点から客観的に判定する方針をとり、それを学科試験にまで拡大しようとしたため、現代文もそれまでの記述中心の形式では対応できなくなり、読解力を客観的に測定する試験問題の開発が求められるようになった問題を検証した。また、現代文という入試科目の形態や内容はこの占領期にほぼ確立され、現在に至るまで基本的な骨格をほとんど変更することなく続いていること、どのような文章を出題し、どのような設問を用意するかという出題者側の論理はもちろんだが、解答作成に必要な知識と文章読解力を身につけようとする受験生側の対策も、実はこの時期に提唱された形式を雛形としていることを歴史的に考察した。
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