研究概要 |
平成18年度は、オーストラリアの3都市(シドニー,メルボルン,キャンベラ)とニュージーランドの3都市(ウェリントン,オークランド,ネイピア)を中心に現地調査を行った。またロンドンとベルリンについてもこれまでのフランスを中心としたヨーロッパにおける調査の補足調査を行った。 オーストラリアとニュージーランドは、連合軍(ANZAC)をつくって第一次世界大戦に参戦するが多くの戦死者を出し、が、これによってナショナリティーが高まり、英連邦からの相対的な自立が始まったとされる。その後の都市計画は、このANZACの戦死者慰霊碑を中心に進められることになり、その慰霊碑がアール・デコのスタイルで建てられたから、どの都市にもアール・デコの遺構がかなり存在する。オーストラリア・ニュージーランドへのアール・デコの導入は米国を経由して行われたことが多いが、それは英国のまたき影響下からの離脱の試みでもあった。同時にアボリジニやマオリの土着のデザインがしばしば使われており、アール・デコがこの両国のナショナル・アイデンティティの形成の表現を担ったことを思わせる。 特筆すべきはネイピアで、この都市は1931年の大震災の後2年ほどで一気に復興されており、その時に用いられたスタイルがアール・デコであった。実際、ネイピアの中心部の建物はほとんどすべてアール・デコである。これはさしたるデザイン統制がない中で起こった現象であり、当時のアール・デコの波及の強さがよくわかる。 また、ロンドンの再開発は、1930年代のアール・デコ期の産業遺産の再活用といった側面もあり、ここでもアール・デコの存在の強さが確かめられるのである。
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