本研究では、遼代および金代の宮殿・都市・庭園を中心とした建築空間の解明を中心テーマとする。北方征服王朝として、遼、金、元は一括されることが多かった。しかし、実際には異なる文化的背景を持ち、異なる建築空間を持っていたことは、遺物や文献の端々に伺える。本研究代表者は本研究以前から、元の宮殿を中心とする建築空間について研究を進めてきた。そこで、本研究では遼代、金代の漢文史料の蒐集・整理、現地調査等を開始したのである。本研究を遂行してみると、資料の制約のため、元朝研究で行ってきた方法とは異なるアプローチをした方が、より実り多い成果をあげられるという見通しを得た。そこで、遼・金二王朝の他に対象を拡大して、遼に先行する北朝、および漢族を含めて検討することにした。漢族以外の異民族については異民族自身による資料は少ないが、これに対して異民族のことを記した漢籍は豊富である。そこで、こうした資料を積極的に活用する。漢族の書き残した空間に関する文献を理解するには、漢族の宮殿および都市の空間を理解しなければならない。それは同時に漢族とは異なる空間を持っていた異民族との違いを理解するのにも役立つ。そこで、遼以前の漢族、異民族(おもに北方系)について資料を蒐集し検討を行った。すると、そもそも漢文化における正殿の研究が非常に不足していることが明瞭になった。そこで、秦漢から唐代にかけての宮殿も研究対象とした。まず宮殿壁画に着目し、論文を執筆した(奈良文化財研究所より出版)。また、唐代の正殿について執筆し、科研成果報告書に掲載された(研究代表者:京都女子大学学長 川本重雄)。さらに、後漢から南北朝にかけての建築について、研究発表を行った。
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