中国では10世紀から14世紀にかけて、北方民族である遼、金、元が漢族の地に侵攻し、部分的あるいは中華の全域を支配した。いずれも本拠地から漢の版図に入りこんで統治したにもかかわらず、都城や宮殿および庭園の造営に関しては、漢族の模倣であるとするにとどまっている。ところが、本研究に先立って、元の宮殿や庭園について資料を整理してみると、たんなる漢の模倣ではなく、漢族の地に来る以前からモンゴルが持っていた、空間に対する観念が作用して造営したらしいことがわかってきた。本研究では、元に先行する遼代、金代を取り上げて、征服王朝の造った空間を解明しようとするものである。
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