本研究では遼金時代の宮殿、庭園に関する基本的な史料収集と検討を行った。遼、金、元は北方の征服王朝として一括されることが多く、とくに建築空間としてはとくに三者の違いを論じられてこなかった。しかしながら、三者はどうやら異なるらしい。資料的制約があったため、本研究では元朝をも研究対象に含めた。元の宮廷には曲水の装置や石のオブジェを配置するなど漢の庭園の影響も認められるが、それ以外の要素、すなわちテントを宮廷内に設営したこと(中国を統治する以前から保有していたモンゴル人の習慣と思われる)や、ウイグル起源のものとチベット仏教とを混在させた庭のあったことを明らかにした。 また、征服王朝は漢族からいかなる影響を受けたかを理解するためには、漢族の建築空間を知って比較しなければならないが、漢族の建築空間そのものの研究が不足している現状にかんがみ、漢族の王朝も視野に入れ、初歩的な研究を行った。漢代から唐代にかけての正殿の壁画についてその概略を明らかにした。宮殿壁画の題材にはふたつの系統があるらしく、正殿に儒教的題材を描くのは北朝の特徴らしいことを指摘した。
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