今年度は、絵画資料や考古資料をもとにして平面図の作成を行いつつ研究、考察した。そのため図面作成のための謝金が必要いなった。そうして2007年10月6日・7日に鎌倉で開催されたシンポジウム「鎌倉の建築と都市-建築史学と考古学の対話から-」と、2007年12月15日に京都女子大学で開催されたシンポジウム「日本の住様式〜寝殿造から書院造へ〜」で発表した内容に対する質疑や討論から得られた情報を再考して、論文を作成した。当該論文は、『建築史学』に投稿しているが、再審査である。 こうした研究が進むにつれて、とくに問題となったのは上層武家住宅の接客空間である出居である。出居が座敷となる時期を追及すると13世紀中期、具体的には北条時頼による宝治元年(1247)の大倉邸の改造が直接の起因となり、まず鎌倉で「座敷」概念が成立したことが判明した。これは他の住宅よりも確実に早く、書院造様式の形成に対して武家住宅が果たした役割が大きいことが判明した。 また、その座敷化した出居は、ひろく国人領主層に展開したと考えられる。なぜなら座敷の原型となった出居こそが、彼らの手によってつくられたものだからである。そうした視点から在地領主層の住宅遺構を再検討し、その成果を報告書には盛り込むつもりである。 また、上層民家との関係を探るため、鎌倉後期の建造である可能性が高い箱木家について研究をしている。なお、一昨年より進めている復元CG作成作業も最終年度に入ったので、テクスチャも含めて完成させた。推定される使用方法、生活状況に基づいたアニメーション化なども行った なお、年度途中で写真データの増大にともない、逐次バックアップするためにデータストレージを購入し、それとの関係や処理速度の高速化のために、新たにノート・パソコンを購入した。
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