日本人の起源に関する二重構造仮説では、縄文人は東南アジアと考えられている。しかし、最近の、特に遺伝学的研究では、縄文人と北東アジア集団の密接な関係がより多く示唆されている。本研究は、元々形態学的な視点から考えられた縄文人の東南アジア起源説を、同じ形態学の立場から再検討し、縄文人の起源を洗いなおすことを目的として開始された。 本年度は、特に縄文時代人の地理的変異とその進化的背景を、R-matrix法を用いることにより検討した。その結果、縄文時代人の頭蓋形態には北から南へと大きく変化する地理的勾配が認められた。さらに地域内変異の大きさを比較したところ、北海道の縄文時代人で地域内変異が大きく、東北、関東、東海、近畿へと南下するにしたがって減少する。このことは、縄文人の拡散過程で、主に北から南へと南下しながら、日本列島に広がっていった可能性を示唆する。しかし、中国地方の縄文時代人では、近畿や関東の縄文時代人よりもやや大きな変異を示す可能姓も見出され、縄文人の複雑なポピュレーションヒストリーを示唆する。いずれにしても、今後は、細石刃文化以前の、小型石器、ナイフ形石器文化の担い手と縄文時代入の文化的、遺伝的か関連をさらに詳細に検討しなければならないものと考えられる。 昨年度のアイヌの研究とあわせて、日本列島における先史時代集団の形質的特長とその地理的変異から、縄文時代人は基本的には、北から拡散してきた集団である可能性が示唆される。この結果は、かつて考えられていた縄文人の東南アジア起源説とは対立するものであるが、今後の課題として、東アジアに象ける東南アジア集団と北東アジア集団の関係、特にその進化的な枠組みの中で、縄文人がどのように位置づけられるのかを明らかにする必要がある。
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