本研究は、植民地朝鮮における官僚機構の成立過程という問題意識に基づいて、近代官僚育成機関であった学校、とくに農業学校に着目する。植民地朝鮮においては農学教育が重視され、農業教育を経て中・下級の官僚となっていった朝鮮人が多数に及んでいるからである。 具体的には、1921年に設立された裡里農林学校を分析対象とする。この学校が位置する全羅北道益山郡は朝鮮有数の稲作地帯であり、20世紀初から日本人大地主が数多く進出した地域としてもよく知られている。裡里農林学校は、これら日本人地主の主導によって誘致されたのである。ただし、開校後は、朝鮮人も就学するようになり、解放後にこの地域で活躍する朝鮮人(韓国人)の「有志」を輩出している。 本年度は、すでに入手してあった「裡里農林学校同窓会名簿」を利用して、同窓生住所に関するデータベースを作成した。その上で、すべての日本人同窓生宅に手紙を郵送して簡単なアンケート調査を行った。同窓生477名のうち、70名の方々からご返事をいただいた。このアンケートの結果、朝鮮で生まれた2世の方が多いことがわかったので、父母の世代が朝鮮に渡った経緯に関するアンケート調査を追加的に実施した。これら2度のアンケート調査に関しては、個々人の履歴に関してキーワードを入力して簡単なデータベースを作成した。 熊本在住の裡里農林学校日本人同窓会長宅を訪問して、3時間にわたってインタビューをおこない、ご自身の履歴、農林学校時代の経験を聞き取り調査した。また同窓会関係の資料(冊子)を入手した。
|