本研究は、植民地朝鮮における官僚機構の成立過程という問題意識に基づいて、近代官僚育成機関であった学校、とくに農業学校に着目している。植民地朝鮮においては農学教育が重視され、農業教育を経て下級官僚となっていった朝鮮人が多数に及んだからである。具体的には、1921年に朝鮮の穀倉地帯・全羅北道益山郡に日本人大地主の主導によって設立された裡里農林学校を分析対象としている。 昨年度は、日本人同窓生へのアンケート調査を中心に裡里農林学校に直接関わる資料収集に集中的に取り組んだ意。本年度は、裡里農林学校以外の農業学校にも対象を広げて文献収集をおこなった。その成果は、裡里農林学校および京城農業学校の資料を用いた研究「植民地朝鮮における農業学校と地域社会-裡里農林学校を中心に-」(2007/12/16九州大学ワークショップ)として報告した。上記の農業学校以外にも植民地期に起源を持つ農業高校や大学農学部の学校史を中心に資料収集を行なって、植民地期農業学校の歴史に関する基礎的な資料を得た。 ところで、農村社会に対する影響力という点では、一部の「エリート」が修学する農業学校より初等学校がより重要であった。農業学校進学者が初等学校修了者であったことは言うまでもない。植民地朝鮮農村にとっての近代学校制度のインパクトをより広い視点から捉えるために、今年度は初等学校に関する文献調査も実施した。さらに、植民地朝鮮農村において学校と並んで重要な「近代装置」としての機能を果たした近代医療制度に関する論稿を執筆した。このふたつの作業は、本研究の方法論的枠組みを補強するものとして位置づけている。
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