本研究では、植民地朝鮮における官僚機構の成立過程という問題意識に基づいて、近代官僚育成機関であった学校、とくに農業学校に着目している。植民地朝鮮においては農学教育が重視され、中等教育期間である農学校を経て下級官僚や農業団体職員となっていった朝鮮人が多数に及んだからである。具体的には、1921年に朝鮮の穀倉地帯・全羅北道益山郡に目本人大地主の主導によって設立された裡里農林学校を分析対象としている。 昨年度は、分析対象を裡里農林学校だけに留めず、初等教育や農村医療衛生にまで祖野を広げたが、本年度も、そうした広い視野から、植民地朝鮮農村における教育の問題を扱うように努めた。具体的には、朝鮮人初等学校(普通学校)において1920年代末以降に展開された「卒業生指導」事業に注目した。1920年代末にはじまったこの事業は、普通学校を卒業した農民子弟に農業技術指導と生活指導を行なって農民の生活と経営を改善させようという政策であり、1930年代の農村振興運動に連なる性格をもっている。本年度は、この事業を農業政策と教育政策との境界領域と位置づけた上で資料収集と分析を行なった(2009年度に出版予定)。また、昨年度以来の農村衛生医療問題に関してまとめを行い、韓国ソウルでの国際学術大会において報告を行なった。さらに、植民地朝鮮における教育・医療衛生問題に関する分析枠組みに関する方法論的な整理を行なって、ソウルでの研究会において報告した。 最後に、最終年次にあたって、これまで裡里農林学校に関して収集した資料の整理を行ない、報告書を作成した。
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