ベルクソンの講義録は、まずロビネの編纂した『論叢』(1972)にその一部が収められ、ユードの校訂した『講義録』(1990-2000)に初めてその全貌が現われたが、ユード版とは別のテクストとして、ラッギアンティの校訂になる『クレルモン講義録』(2003-)が新たに出版され始めた。しかしなお、これらの何れにも未収録の講義録がパリのジャック・ドゥーセ文学図書館に保管されている。「物活論と原子論」と題された聴講生による手書ノート(BGN3146)は、そのような未公刊資料のひとつであり、ベルクソンの心身関係論の講義(パリのアンリ四世校における1893-1894年の「物質論・霊魂論講義」)の全体を知るうえで不可欠の記録である。そこで、このノートからテクストを起こして、これを批判的に検討すると、ベルクソンにおける想像と類比の問題の重要性に改めて気づかされる。ベルクソンは実際、その講義のなかで、<類比により表象する想像>と<演繹により推論する悟性>とを比較しながら、二元論に対する新しい見方を近代の指標たるヘーゲル的な弁証法とは別様に見出そうとしている。この面からベルクソンの著作を読み直すならば、想像におけるベルクソン的類比は、ただ諸イマージュの関係の間の類似を指示する<比例性の類比>であるのみならず、内在的な<帰属の類比>、つまり実在の諸段階の形而上学的類比でもあることが確かめられる。そういうわけで、ベルクソン哲学のいたる所に見出される藝術の類比は、説得術ではなく発見術であると言える。知性以下のイマージュを越えて、超知性の高みから新たなイマージュを此岸に創造するベルクソン的直観、その論理は、源泉に遡りながら分離して統一することを本質とするアナロゴスである。それは近代的知性のロゴスに対するオールタナティヴとして、「学を照らす光」というラヴェッソン的な意味での美学的ロゴスである。
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