フランス・スピリチュアリスムの思想家ラシュリエ(J.Lachelier)の哲学には、2つの立場が認められる。『帰納法の基礎』(1871)に見られる<直観>の一元論的立場および『心理学と形而上学』(1885)に見られる<反省>の二元論的立場である。両者は、彼の「生ける弁証法」の二つの相貌と言うべきであり、その論理は、統一すると同時に分離し、類似において同一と差異とを繋ぐような、演繹でも帰納でもない類比(アナロジー)の論理と見なしうる。この論理こそ、近代の内から近代を越え出る可能性をもった、形而上学としての美学を基礎づける論理であり、その十全な展開がベルクソン(H.Bergson)に認められる。特にその『道徳と宗教との二源泉』(1932)には、<藝術作品・道徳的英雄・神秘家の類比>や<想話と創造との類比>など、「イマージュの類比analogia imaginis」とも呼ぶべき類比的な思考が際立っている。西洋の「存在の類比analogia entis」では、「あるetre」が存在論として議論されてきた一方、東洋の「無の類比analogia nihilis」では、「もつavoir」が所有論として考察されるべきであるが、ベルクソンの「イマージュの類比」では、「なるdevenir」が生成論として反省されうる。空間の観点から(無から有へと)創造を考える代わりに、時間の観点から(形成するかたちforma formansから形成されたかたちforma formataへ、あるいは形相の可能態dynamisから質料の現実態energeiaへ)生成を考えるのが、ベルクソンにおけるアナロジーの美学である。このように、ラシュリエからベルクソンへの系譜において、同一律を越えた脱近代の論理としてのアナロジーによる美学思想が継承・発展してきた。今年度の研究は、以上のことを歴史的・体系的に明らかにした。
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