「軍記と絵巻と寺院-<初期軍記>における「斬首」の表現をめぐって-」において、「斬首」の史的変遷と研究史を確認、『陸奥話記』『奥州後三年合戦記』における「斬首」の表現を分析している。『陸奥話記』において、将軍・源頼義による断罪の段階が描かれており、「追討命令遂行型斬首」という位置づけをおこなった。一方、『後三年記』における「斬首」の表現には、断罪の段階が希薄で、その遂行は義家の「私怨」に満ち、『話記』との対照が明らかである。懸小次郎が家衡の首を取る場面から、敵の正体を明らかにせぬまま斬る、「成果事後報告型斬首」という行為が見出すことができる。こうした「斬首」が、戦禍を拡大していくこと、後に『平家物語』などに描かれる斬られた首の主にかかる哀話を生んでいくこと、等々を指摘している。また、『話記』の頼義と『後三年記』の義家との対照を、頼義往生・義家堕地獄を語る説話伝承世界に探り、<後三年合戦>という事件直後から、義家を批判する-戦争責任を問う-向きの伝承が語り継がれた一世紀(1100〜1200年)を想定、その後「源氏の世」の出来により、その批判が失われたことを論じた。権力の交替によって「戦争」への批判が変容するという問題は重要であろう。また、室町期成立とされる『後三年合戦絵巻』は、野中哲照の一連の検証結果、『吉記』『康富記』の記事通り、後白河院周辺で承安年間に制作されたものと解し、その成立契機について、「源氏の武」に抗するモノとして具現化されたと判じた。『後三年記』は、作品の本質として「戦争への批判」(源氏の武)を有しており、他の軍記作品に比して特異な位置にあること、また「寺院」という「場」で維持された問題等についても言及している。(http://mitizane.11.chiba-u.jp/curator/に掲載)また、「研究展望<初期軍記>」で、「戦争被害」分析の必要性について触れている。
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