研究概要 |
軍記物語における,「斬首]の表現,「女性」の被害という2つの戦闘被害の表現について検証している。「斬首」の表現は『保元物語』『平治物語』『平家物語』における用例を抽出し,各作品・諸本における傾向を分析全体的傾向として一般に理解される「功名」の為戦場における「首取り」表現は古態本にはうかがわれず,むしろ戦後の「断罪」として「斬首」が描かれている(『保元、平治』)こと,こうした保元・平治の乱の歴史認識を承ける『平家物語』の表現として,延慶本巻二の平重盛の発話が注目されること等を指摘している。「女性」の被害表現については,『将門記』『陸奥話記』『奥州後三年合戦記』等の初期軍記作品の用例を抽出,『扶桑略記』『今昔物語集』との表現の差異を確認しつつ,義江明子氏の論を契機に,古代戦闘において女性が戦禍に関わった表現を検討した,義江氏指摘の「女性の参戦」という古代的状況は確認されたが,『日本書紀』・初期軍記作品・『今昔物語集』も女性の被害(一部戦闘に関わらない凌辱被害)について「恥」の問題に立ち入った表現を有すること,また「妻子」の被害は戦闘当事者(男牲)にとって強いダメージを与えるものとして微細な表現ながら描き込まれること等,記録的な傾向のある<初期軍記>作品群においても,戦時下における人々の心情を推し量る文学的表現が読み取れることを明らかにした。当該年度後半では,軍記物語に描かれた戦闘被害者慰霊にかかる現地調査を実施したが,近代に至って不特定多数戦死者の慰霊碑が確認されるのは,『平家物語』における「北陸合戦」地(倶利伽羅合戦,篠原合戦)であり,当該合戦の勝者・木曽義仲が,後に叛逆者となった歴史認識の問題が新たに浮上した。平家敗将の鎮魂の蹟は概して一般的な理解通りだが,古代・中世に遡る戦死者慰霊にかかる問題については,個別地域の歴史認識の問題として今後も検証を重ねていく。
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