1 20年度は、19年度に引き続き、文学、演劇、思想セクションごとに、〈身体的痛み〉の表象についての研究を行った。12月には、MarkNixon氏(University of Reading)をパネリストとして招聴し、シンポジウム形式の公開の研究会を東京大学で開催し、これまでの研究成果を発表した。Nixon氏からは本プロジェクトについての指導助言、専門的知識の提供を受けた。また3年間の研究の成果を論文集(英語)の形でまとめ、研究叢書として出版する準備を開始した。 2 セクションごとに見ると、田尻はべケットとウィンダム・ルイスがともに人間身体の機械化へと駆り立てられ、その苦痛から独特の笑いを醸成していることを20世紀モダニズムの文脈の中で研究し、12月のシンポジウムにおいてpainful laughterというテーマの下に論じた。堀は、E.ScarryやG.Agambenの理論を基に、第二次世界大戦中にベケットが見聞きしたホロコーストの恐怖と不安が劇作品にどのように反映しているか、またべケットの影響を受けた別役実が広島の被爆者の苦しみを扱った『象』などの戯曲と比較し、「精神的痛み」と「身体的痛み」との関係について考察した。人間の不安や恐怖が演劇的体験と重なる『わたしじゃない』と、作者ベケットのポルトガル滞在との関連も探ってみた。対馬は、表象の限界において-私たちが聞きうる、見ることのできる、感じることのできる限界において-様々な苦痛の声や顔として現れる「人間なるもの」へ私たちを連れ戻すべケット芸術の倫理的意味について考えた。とくに、ベケット作品において、表象される内容ではなく、表象の失敗において間接的に確認される痛みの性質について、言語を発することに関わる痛みという観点から考察した。
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