本年度の研究では、まず、明治初期のドイツ国家学の導入過程において最も影響力のあった論者の一人ヨハン・ブルンチュリの主著Allgemeines Staatsrechtについて、特にその複数回の改版の過程に注目して基本概念の意味の異同を抜き出した。その結果、近代国家形成の基礎となる人間集団について、当初は、自然発生的な集団をVolk、政治集団をNationと記述していたが、第2版以後は、前者をNation、後者をVolkとする逆転した用語法を用いていることが確認できた。その決定的な理由の解明には更なる考察が必要であるが、後の版になるほどNationの権利についての記述が増補されていることから、改版時の19世紀後半に国際政治においてNationalityが占める重要性が飛躍的に高まったこと、特に彼がその一員であった統一ドイツ国家の成立との関連に着目して進めたい。次に、その翻訳について対訳表を作りながら基本概念の訳語の変化を抜き出した。その結果、加藤弘之の翻訳では、自生的文化集団の国家形成という問題への関心は低いことが明らかとなった。王政復古による新国家の関心の中心は、近代国家において王室の統治権をどう考えるかという点にあったようである。加藤の用語法ではNationに「種族」を一様にあて固定したため、これとの相関で意味づけられるVolkには種々雑多な訳語を当てることになった。その個々の文脈の詳細な検討は次年度の課題である。一方、Nationalityへの関心の高まりは、明治20年代の平田東助らの翻訳に至って初めて明確になる。そのなかで平田がNationに「族民」という訳語を案出し、以後、『独学協会雑誌』などで一般に使用されたことが明らかになった。ブルンチュリの同じ文脈を、ほぼ同時期の陸羯南などは「国民」と訳している。この訳語の相違は、官僚と民間の対立を背景とした意図的なものである可能性が高く、その経緯について更に考察を深めたい。副次的な成果として、加藤が「民族」という日本語をStammの訳語として使用したことが分かった。通説ではこの語の鋳造は後年の政教社と結びつけられているが、明治9年の訳本の小見出しとその本文にみられるこの事例が意識的な使用の初出と考えられる。
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