本研究は、昭和10年代に時期を焦点化し、特定の地域と学校の事例研究を通して、社会の音楽もふくめた音楽文化の中に、学校音楽がどのように位置づき、その結果としてどのように国民統合機能を果たしたのかを明らかにすることを目的とする。その目的を達成するために、平成18年度は以下のような研究に取り組んだ。 第一に、『音楽年鑑』等の当時の文献をもとに、戦前期の音楽文化の状況について確認した。第二に、長野県飯田市の座光寺小学校と上田市の塩尻小学校、豊殿小学校、神科小学校を調査対象地域・学校とし、当該小学校等に保存されている学校日誌などの学校文書や、当該地域の歴史資料館等に保存されている関連史料を蒐集した。 以上の作業によって蒐集した史料に、既に史料の蒐集を行った高遠町(現伊那市)の高遠小学校の史料を加えて、3地域での学校音楽の状況を、それぞれの地域の特徴をふまえながら比較検討した。その結果、以下のようなことが明らかになった。 尋常小学校期には、唱歌科の授業内容(歌唱)に加えて、学校によってはレコードによる鑑賞を行っていること。地域での鼓笛隊やブラスバンドの活動のための楽器を小学校で揃えるなど、学校でも多少の器楽活動ができる環境があったこと。しかしながら、それらの取り組みがなされるようになるには、地域・学校によってタイムラグがみられること。これらの傾向は、国民学校期になってもみられること。 以上から、従来の音楽教育史研究が描いてきた、文部省の取り決めに従い、全国で同じような音楽教育が行われていたという図式ではなく、音楽教育の内容や方法は、個々の地域の事情によってずいぶんとズレがあったと考えた方がよいという知見を得ることができた。 このようなズレがあったなかで、音楽教育がどのように国民統合機能を果たしたのかを、次年度は当時の教育を受けた人々を対象に簡単なアンケートを行って明らかにする。
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