複雑な多細胞生物は、さまざまな遺伝子発現パターンによって、ひとつのゲノム情報から多彩な機能を持つ細胞を発生・分化させている。近年、生物個体を構成する空間的・時間的な発現パターンのプロファイルが大量に獲得されているが、それぞれの発現パターンの機能的意義は必ずしも明らかではない。本研究では、心筋細胞の発生過程の連続的なモデリングに取り組んだ。すでに構築していた胎生初期、胎生後期、新生仔期、成体の4段階のモデルを結ぶ中間部分のモデル化を試みた。その過程で、より妥当な発生経路を同定するために、心筋細胞がおかれている環境 (外的拘束)だけでなく、遺伝子発現量を決定する発現調節システム(内的拘束)についても考慮することが有用であるとの洞察を得た。真核生物に特徴的な発現調節システムによって、実現可能なデザインは大きな制約を受けていると思われる。内的拘束に基づいて心筋細胞が存在可能な状態空間を限定し、その上で外的拘束に基づき現実に心筋細胞が発生過程とともに推移する状態の軌跡を同定することを試み、内的拘束の数理モデルを構築した。こうした試みは、さまざまな生命システムのデザインが、どの程度の必然性をもって成立しているかを探る上で有用となるものである。心筋細胞の発生過程という時間に沿った変化のモデル化と平行し、空間に沿った変化のモデル化にも取り込んだ。対象には空間的な発現パターンの不均質性を持つ肝小葉のアンモニア代謝を選択し、髪歯類の肝臓に見られる部位特異的な遺伝子発現調節が、アンモニア代謝のエネルギー効率向上に寄与している可能性を示した。今後、これらの探究を展開することにより、各対象についての個別の理解を得るとともに、遺伝子発現パターンの多様性によって構成される高次生命現象が持つ共通の特徴の抽出を試みる。
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