平成18年度は、消費を楽しむ若い女性たちが、戦後のいわゆる「大衆天皇制」の積極的担い手となり、皇室「世論」空間を支えたことを明らかにした。この分析をまとめ、8月に『ミッチー・ブーム』(文春新書)を上梓した。 1955年『週刊新潮』の創刊をはじめ、新聞社系週刊誌とは異なる出版社系週刊誌の創刊が相次いだ。そのなかの一冊『週刊女性自身』は「皇室自身」と呼ばれるほどの熱心で独自の皇室報道を繰り広げ、皇室にまつわる情報の受容形式を一新する。 第一章では、1958年の婚約発表後の「ミッチー・ブーム」の出現を主に新聞と週刊誌報道の対比から、第二章では、女性向けの服飾専門誌の分析から明らかにした。第三章では、国民イベントとなった1959年の「ご成婚」後に登場した議論を紹介した。その議論は、現在の皇室を考える上でも有益な視点を有していたが、知識人中心の議論は、一般の皇室世論と分離していた点が特徴的である。第四章では、新たな皇室世論の担い手が女性であることの意味を検証した。第五章では、女性週刊誌が支える皇室世論を検証した。 女性向けファッション雑誌といえば1970年代の『anan』『non-no』の登場をもって語られるが、1958年創刊の『女性自身』は、すでに働く若い女性にとっての流行ファッション情報誌としての特徴を備えていた。女性週刊誌が熱心に皇室についての話題をグラビア付きで報じたのは、若い女性たちが毎日の通勤スタイルへの関心から、皇族女性の「見た目」に無関心ではいられない傾向をいち早く察したことによる。皇族女性の日々の衣装、振る舞い、結婚観等を熱心に報道することで、皇室肯定する気分の維持に貢献した。さらに、美智子皇太子妃のファッション批評を行うことで自らの嗜好を育んだ。個人的嗜好に基づくファッション批評を通じ、戦後の象徴天皇制にっいての新たな世論形成に若い女性読者は参加していったのである。
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