研究概要 |
近代日本における買売春は, 江戸時代後期に成立した公娼制度を基盤とし, 明治期から戦後の売春防止法成立(1956年)まで, 国家公認の制度として管理/保護され存続してきた。本研究は、戦前期の日本における買売春を主目的とした人身売買問題の実態と社会的構築過程を, 社会史的アプローチによって解明しようとするものである。 昭和初期に社会問題化した東北農村の「娘身売り」問題に焦点をあて, 当時の統計データと新聞報道の分析を行なった。1935年の内務省社会局社会部の全国調査によると、娘身売りが問題となっていた東北地方では, 確かに娼妓の輩出率は高いが, 芸妓・酌婦・女給といった他のカテゴリーでは, 東北地方の輩出率は高くなく,芸妓については大都市部, 酌婦は西日本, 女給は関東・近畿地方の輩出率が高い。また, 娼妓については, 東北地方以外の九州地方の輩出率の高さも目立っており, 東北だけが娼妓となる女性の主たる供給地ではなかった。次に新聞記事の分析から、第一に, 報道された「娘身売り」が発生したのは大凶作が起こった1931年とは時期がずれていること, 第二に, 身売りのきっかけは凶作ではなく, 国からの唐突な官有地払下げに対する農家の対処手段であったこと, という二点が確認された。さらに, 記事の論調として, 第一に, この報道の背景として社会における廃娼運動の主流化という事態があること, 第二に, 身売りの原因を農民の「道徳心」に求める見方が存在していた。
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