本年度は、ベンヤミンの言語哲学を手がかりに、越境的ないし複数言語的に自分が他者へ向けて語る言葉を見いだしてゆくような言語活動の可能性を、言語それ自体のポテンシャルとして哲学的に解明し、そこに共約不可能な他者に応答してゆく私たちの可能性があることを示すことに向けて、ベンヤミンの言語哲学の独自性を見定める研究に取り組んだ。9月末にはその中間的な成果を、デリダの言語論と関係づけながら発表する機会を得た(9月30日に京大会館で開催された、ドイツ観念論研究会と実存思想協会の合同研究会シンポジウムにて)。「言語のディアスポラを生きる」と題したこの発表においては、ベンヤミンとデリダがディアスポラのユダヤ人として、みずからの言語をその可能性へ向けてどのように問いなおしたかを主題化し、両者の議論が、他の言語に呼応し、他者とのあいだを開きながら、「母語」を越えつつみずからの言語を生成させてゆく、言語のディアスポラ的とも形容すべき運動を、私たち自身が生きる可能性を示唆していることを際立たせた。その原稿は、来年度中に公刊する予定である。また10月には、ベンヤミンに関する国際学会に合わせてベルリンへ旅行し、おもにベルリンの国立図書館を用いて、文献を調査した。そこではとくにベンヤミンの言語哲学の背景となる思想につながる文献を閲覧できた。国際学会においては、国際的に著名な研究者や若手の研究者の報告から多くの刺激を受けた。11月には、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』のアレゴリー論に内在する言語哲学のアクチュアリティを探る論文「言語の解体と再生」を公刊した(広島市立大学国際学部『広島国際研究』第12巻)。この論文においては、『ドイツ悲劇の根源』のアレゴリー論が、情報伝達のための記号と化した言語に、他の言語に応え、他者とのあいだを開く力を取り戻させるために、記号の物質性を積極的に生かそうとしている点を際立たせた。
|