本年度の研究で代表者は、クールノーの先行者であるメーヌ・ド・ビランやイデオロジストとの関係を明らかにすることに研究を集中させてきた。その中で、実証主義の一員に数え上げられるクールノーが、因果性、力などの自然科学の基礎的諸概念の発生については、メーヌ・ド・ビランと近い心理学的な立場にあることを明らかにし、この点に、実証主義とスピリチュアリスムという19世紀フランス哲学界の二大潮流を調停しようとしたクールノーの独自性があることが明らかになった。 また、クールノーとほぼ同時代に科学史の領域を開き、かつ社会哲学を構想するというクールノーと類似した営みを行ったコントの哲学とクールノーのそれとの比較研究も行った。その結果明らかになったのは、コントが生物学を社会学を準備するものと位置づけ、かつ複雑さにおいては社会学を上位に位置づけたのに対し、クールノーは数学と社会学とを単純なものと位置づけ、両者の中間に位置する生物学こそが最も複雑で困難であると考えていた点である。この生物学への評価の背景には、両者の数学観の違い、特に自然諸科学や社会諸科学への数学の適用の可能性に関する両者の見解の相違が存在する。すなわち、コントはその数学観からして、数学を他の学問に適用することに禁欲的であったのに対して、プロの数学者でありかっ経済学の書物を著しているクールノーは、社会諸学への数学の適用可能性に対して楽観的であったといえるのである。もっとも、クールノー最終的には、「生命」の概念を媒介とした超合理主義(Transrationalisme)を唱えるようになる。この方向は様々に評価できるが、さしあたって、ラヴェッソン的なスピリチュアリスムとの回帰とも見える。こうした側面をクールノー哲学の全体のうちにどのように位置づけるかが今後の課題の一つとなるだろう。
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