19年度は、前年度に口頭発表した「伯希和2462《玄言新記明老部》初探-《老子》的義疏学」 (2006漢学研究国際学術研討会)の成果をふまえ、『老子』注釈史における章序、分章、および科段への関心のありようを引き続き検討した。本研究では、儒仏二教の注釈学との関連を重要課題として、これらの問題を考察することととし、「中央研究院歴史語言研究所傅斯年図書館蔵「敦煌文献」漢文部分叙録補」(『敦煌写本研究年報』創刊号)では仏典の注釈書における科段説の広がりについて一定の知見を得ることができた。傅斯年図書館蔵敦煌文献188105(鄭阿財目録31)は従来「維摩経釈前等小抄」と呼ばれてきたが、筆者の読解により、実際には道液『維摩経集解関中疏』から科段を指示する文のみを抽出した作品であることが判明した。あるいは、常暁『常暁和尚請来目録』(839年)に著録される「維摩経関中疏科文」であるかも知れない。当該文書には「河西節度使道場文」が連写されており、帰義軍期の写本であると推定される。本研究の明らかにしたところによれば、『老子』注釈における科段説の適用には初唐の『玄言新記明老部』がすでに無用な穿鑿であるとの批判をおこなっており、その後の李栄や玄宗の注でも科段説は採用されず、章序や章指への関心も大きく後退していたのであった。だが傅図188105号文書の存在は、仏教の注釈学においては唐末に至っても依然として科段説が有効な方法として人気を集めていたことを示している。そもそも科段は仏典の注釈から『老子』注に取り込まれた方法と想定されるが、『老子』本文のスタイルに必ずしも合致しないそれは早くに廃れ、いっぽう本家の仏教では長く命脈を保ったものとおもわれる。
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