研究代表者は、初年度において「王弼の見た『老子』」(『中国の思想世界』イズミヤ出版、2006)と題し、『老子』王弼注の文献学的考察をおこなったが、その際、篇序や章序への意義づけなど、『老子』注釈の基本的態度が課題としてのこった。その後の研究の継続により、顔師古撰と伝えられる『玄言新記明老部』(敦煌文献ベリオ2462)が、注釈方法の問題が集中的に表れた貴重な資料であることを発見し、その成果を「伯希和2462《玄言新記明老部》初探-《老子》的義疏学」(『敦煌学』第27輯、柳存仁先生紀念専号、2008年)として発表した。『玄言新記明老部』は『老子』に科段を設けることについて、斉梁以来の悪弊として反対している。しかし一方では、八十一章の章序に意味を見出し前後の連関を明らかにする注釈作成に意を注いでもいる。科段にしても章序にしても、六朝期儒仏二教の義疏学の影響を濃厚に受けた注釈法とおもわれるが一方には賛成し、一方には反対の立場を取っているのである。これは、『玄言新記明老部』が六朝義疏学の学風を継承しつつ、より『老子』そのものに即した注釈法を模索する、過渡的な注釈書であることを意味しているだろう。また、本研究成果は、同時代の成玄英『道徳経義疏』への理解にも再考を迫っている。『道徳経義疏」は詳細な科段を附しており、少なくとも形式上は保守的な注釈書ということになる。成玄英は、自分の信念を記すよりは、六朝以来の通説をあつめて一種の標準解釈を学界に提出することに意を砕いていたのである。
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