本年度は、唐代の書論を中心にとりあげ、なかでも宋代の蘇軾や黄庭堅から高く評価された張旭をめぐる書論について研究した。狂草の書き手として知られる張旭は、のちの評価で、唐代の尚法から宋代の尚意への移り変わりを先取りした革新的な書家として位置づけられる。つまり彼は伝統的な「法」にとらわれず、自由な「意」を表出したのだ、と。しかしこうした図式はあくまで後世の目からみたものであり、当時は「法」と「意」を必ずしも常に対立させていたわけではない。張旭をとりまく環境もおそらくは「法」を重視するもので、彼の活躍した時期以降、筆法の伝授がことさらに喧伝され、張旭が必ず引き合いに出されるのはその一証である。ただその法は、実際に筆を執る際には忘れ去られることも必要であるとされることから、単に表面的に字形や結構を真似るだけでなく、法をわがものとして自得することが重視された。つまり後世から見た自由な「意」は、唐代の書論を見るかぎり、「法」を否定することではなく、「法」を踏まえてその「法」を忘れることで獲得されたのである。こうした論理は、六朝以来の玄学に淵源しつつ、唐代の禅宗のそれと類縁するものである。書論は従来多分に道教と関連性を有していたが、張旭を境として、思想背景を切り替えたものと見ることもできる。以上の研究成果は、『日本中国学会報』第59集に「筆法と筆意--張旭の位置づけをめぐって」と題して公表される予定である。
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