「社会」の語の生成について筆者はすでに「清末中国的「社会」認識」(『韓日両地域中国近現代史研究者交流会第二届国際学術会議』2006年1月)と「中国における「社会」の語をめぐる一考察」(『日中相互理解に関する研究(平成17年度外務省日中知的交流支援事業)』2006年3月)の論文で論じた。すなわちsocietyの語がどのようにして中国や日本の知識人に受容されたのかという問題である。これは単に、西洋の学問や思想が東アジアに流入し、どのように翻訳されたのかを問うものではない。Societyという前近代中国には「存在しなかった」概念を中国の知識人が中国「伝統」の概念群と対照させ、いかに中国の「近代」あるいはmodernityを形成していったのかという東アジアの「近代の質」を問う巨大な課題である。このような問題意識は、実は近年、中国および日本の研究者の間でも共有され、さかんに論じられている。その意味で国外の研究者との研究交流は、筆者の問題意識をより深めるためにも有意義である。さらに筆者は「社会主義」がいかに「東アジア」の人々に受け入れられたのか調査した。「社会主義」の流行は「社会」の概念の定着と切ってもきりはなせない関係にあり、ロシア革命以前における「社会主義」-「初期社会主義」-の非常に特徴的な姿を日本と中国との間の「思想連関」を通じて解明できた。日中間の「思想連環」に興味深い題材を提供する「史学」についても、梁啓超の「新史学」を分析することによってその一端を解き明かした。「社会」認識にまつわる課題は、非常に幅広く、国家観、世界観や歴史観にもかかわるもので、「史学」や「アジア」に関する研究を通じ、近代中国の「社会」認識の探求をより深化させてくれたと確信する。
|