「転換」していく経緯を追い、本年度は伊波が、「南島」研究へと踏み出すところを研究する予定だった。だが、研究を進めるにあたり、単純に伊波の思想が「転換」したといいうるのかという根本的な疑問にぶつかった。たしかに、「日琉同祖論」による伊波の朝鮮人やアイヌへの差別意識が柳田との出会いで自己批判され、沖縄の独自性という点が強調された「沖縄学」が立ち上がっていくと思われる節はあった。しかし、伊波は柳田と出会ったのちも「日琉同祖論」を保持し続け、いわゆる差別意識も決してなくなったとはいえないとわかっていくうちに、単純に思想的「転換」がおこったと結論するのではなく、むしろ、根本的な思想は依然として保持し、その自己批判の必要性にも気づいた、葛藤状態にあった伊波が、さらに柳田民族学を摂取していくことで、それらが相乗効果を持って伊波の思想を矛盾や葛藤を含みながら形成していったと考えるべきではないかと思われた。しばしば、研究の前提には個人の思想は統一的に、矛盾なく理解できるはずだという予断があり、本研究もそうした側面を多分にもっていた。しかし、矛盾や葛藤をふくみながら思想は形成され、そこに、包摂と排除という正反対のベクトルをあわせもつ思想が見えてくると考えることが、本研究には必要不可欠であると考えるに至った。 そこで、本年度は伊波のとくに「日琉同祖論」を最初期から晩年に至るまで時代貫通的に吟味し直す作業を進めた。それはすでに私が編集し直して公にする運びになっている「沖縄人の祖先に就て」という1906年の論考から、晩年に至るまでの「日琉同祖論」のあり方を再吟味するものである。そしてこの「日琉同祖論」的な思考に矛盾しながら同調する柳田民族学からの影響、なかんずく「南島」への伊波のまなざしの端緒まで追っていった。
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