「彦火々出見尊絵巻」原本を横に据えて写された二系統の模本(宮内庁書陵部所蔵模本と明通寺所蔵模本)の調査・撮影(写真資料を入手)を行い、これらは異なる機会に制作されたにも関わらず画面内容がほぼ一致することから、両者とも原本の内容を忠実に伝えるものであることを確認した。その上で、同時代の仏画等と比較した結果、「彦火々出見尊絵巻」に描かれた龍王の娘と摩端魚は、厳島神祉所蔵「平家納経」提婆達多品に描かれた龍女・摩端魚と非常に近似していることを見出し、加えて、同絵巻の龍王も同時代の仏画に見える龍王像と近似していることを確認して、同絵巻の龍王の娘は、龍女成仏説話の龍女のイメージを兼ね備えたものであることを明らかにした。また、当時の説話集に見える浦嶋子伝説系説話において、龍宮を極楽浄土に結び付ける傾向が認められるが、「彦火々出見尊絵巻」の龍宮も極楽浄土と共通項を有することが確認でき、加えて、同時代の説話に記された龍宮には四方四季が備わっているのに対し、同絵巻の龍宮は西を暗示する季節である秋に限定されていること等から、同絵巻の龍宮は、特に西方極楽浄土と強く結び付けられたものであることを明らかにした。 一方、当時の史料から、「彦火々出見尊絵巻」の注文主である後白河院は、同絵巻の制作時期に、四天王寺に頻繁に参詣していることが確認できるが、当時、同寺の西門が極楽浄土の東門に通じているという信仰が隆盛を極めていたことが知られる。さらには、同時期に後白河院は『梁塵秘抄』に加筆しているが、その箇所からは極楽往生への願いの高まりが確認できる。これらのことから、「彦火々出見瞭絵巻」の制作たは後白河院の極楽往生への強い願いが込められていたという結論に至った。
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