「中国の八部衆像に関する調査・研究」と題し、平成18年度から19年度の二ヶ年にわたる研究の一年目である。今年度は、平成18年8月に山東省、12月から平成19年1月に四川省の実地調査を行った。いずれも石窟・石庭および博物館の所蔵作品について、八部衆を構成する各像に限らず、図像的に関連が見受けられる尊像まで視野を広げ、デジタルカメラによる撮影と調書の作成を行い、制作年代の検討および図像的特徴を確認した。また、これまで取り組んできた韓国の作例との比較を行うことで、本年度の調査においては主に次の点において成果を上げることができた。 第一に、山東省の石窟および博物館に所蔵される石像には、韓国の統一新羅時代以降にみられる八部衆像と直接的な影響関係がある作例が見出せなかったことである。また、韓国の八部衆像には、中国・中原地域を中心に5〜6世紀にかけて盛んに造像された守護神像群である神王像の図像が一部において混在しているが、山東半島の作例にはそれさえ見出し得なかった。この結果は、6〜7世紀に中国から朝鮮半島へどのように八部衆像の構成と図像が伝播したのか、そのルートを考察する際の重要な成果となった。 第二に、四川省には多数の八部衆像が現存するが、その中でも制作年代および図像的特徴から重要な作例は、広元千仏崖(初唐〜盛唐)および梓潼重竜山石窟(初唐)の作例であった。本研究者は、中国における八部衆形成の場所は6世紀後半の中原地域であり、そこから四川省など中国国内に、また朝鮮半島に直接伝播したとみなしているが、四川省における八部衆造像の初期の秀作においてさえ、神王像との図像的関連が見出せなかった。このことから、すでに7世紀の段階で、韓国に伝播した群像形式や図像構成と中国国内における作例の傾向が異なっていたことをうかがわせる結果となった。
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