本年度は、9月に実施した現地調査に基づき、1555年の共和制崩壊以前のシエナにおける聖画像崇拝について、交付申請書記載の「研究の目的」のうち特に(1)および(2)に重点を置きつつ研究を行なった。 1.まず論文「石の中のイコン」においては、15世紀から16世紀初頭のシエナにおいて流行した、中央に中世の聖画像を収めたルネサンス様式による壮麗な大理石タベルナークルム(壁龕)の制作に着目し、その造形的諸特徴、機能、社会的背景について考察した。こうした信仰形式が、16世紀後半になると、大理石壁龕からいわゆる「絵画タベルナークルム」へと発展的に継承されていくことは、すでに2001年の論文で論じたが、本稿はこの先行論文を補完するものである。 2.続く論文「天のオクルス、あるいはベッカフーミ作《玉座の聖パウロについて》」では、16世紀初頭に画家ベッカフーミが描いた同名の作品を分析した。その際に着目されたのは、聖パウロの頭上に描かれた、円形の枠に収まった聖母子のイメージである。このモチーフは、画中画にも、あるいは窓の向うに垣間見られた幻視にも見える。この表象が有するこのような揺らぎの背後には、聖パウロが『コリント人への手紙第2』において述べている幻視体験の両義性、それをルネサンス期に再評価した新プラトン主義の思想、さらには、この作品が当初置かれていた礼拝堂=裁判所という空間の特殊性などが想定されることを論じた。 3.さらに論文「シエナー閾の聖像」においては、シエナの城門をかつて飾っていた、聖母マリアの生涯を主題とするいくつかのフレラコ画を採り上げ、それらがどのような目的で、誰によって、いかなる時代背景のもとに描かれたのかを考察した。それにより、中世に端を発するこうした作品制作が、共和制が衰退していく不穏な政治的状況の中で再開し、都市のシンボリックな防衛のために重視されていたことが明らかとなった。
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