採択最終年にあたる平成20年度は、採択初年度より進めていた文献学的研究の成果を整理し、近現代シチリア文学に内在する地中海的な心性を指摘し、それが現代においてなお、シチリア人の存在論的な認識やシチリア文学に潜在する主要なモティーフになっていることを下記の学術雑誌に論文という形で発表した。とりわけ、20世紀の西洋演劇史上において、それまでの演劇概念や形式を完全に打破して、革新的な演劇世界を切り開いたシチリアの劇作家ルイジ・ピランデッロの作品を取り上げ、地中海的な女性像の原型である大地母神への土着的な信仰が、アイデンティティの危機といった近代以降の人間共通の文脈において、シチリアにおいてはなお、存在再生の根拠となっていることや、シチリア文学の中に現れる独特の死生観・宗教観が、実は反カトリック的であり、そこには古代ギリシャ・ローマやアラブ世界も含めた連綿と続く地中海文化の反映が具体的に見られることなどを明らかにした。これらの成果によって、従来、様々な民族に支配されてきた複雑な歴史やそれに伴う文化の重層性は認識されつつも、文学研究においてはイタリアや大陸ヨーロッパの範疇・影響関係の下で位置づけが試みられてきたシチリア文学に、地中海的視座からアプローチすることの正当性が証明できたように思われる。また、こうした視座のさらなる探求は、他の南欧諸国やアラブ世界、北アフリカの思想や文学を研究していく上で、新たな方法論によるアプローチを可能にし、未見ではあるが潜在的な理解の枠組みを提供するものであると確信している。
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