研究概要 |
明治期のアイヌ知識人バチェラー八重子が『若きウタリに』で述べたようなことが,アイヌ文学でどのような位置づけが為されるかに焦点を当てた。それば,バチェラー八重子は和歌にアイヌの心を載せるという戦略をとつたが,それはアイヌ語でアイヌのことを訴えられなかつたというよりも,アイヌ語でほ訴えても日本当局に理解きれ得ないためという側面があるのではないかと考えちれるが,このような日本の古い韻文のスタイルに仮託してアイヌの心を訴えるという方式は,大正期から昭和戦前期にいたる違星北斗や森竹竹一,そして戦後の俳人江口カナエへと受け継がれている。 いっけんその流れは単純なようでいて,実は内容面での複雑さや,アイヌ語で語ることの意味が変容してきた時代背景を裡に秘めているといえる。例えば,明治期はアイヌであることが差別対象とはなりながら,アイヌであることを自称することがタブーではなかった(隠し得なかったが故)のに対して,明治末期から大正,昭和戦前期には「日本語を習得して近代化を行うアイヌ」がモテルマイノリティとして見られる時代を迎え,さらに戦後にはほとんど表面的には和人と変わりがないがため,差別に対する抵抗の手段として「出自を隠す」.という行為が日常化してしまうことにもあらわれる。そしてそれに逆行するように,鳩沢佐美夫,上西晴治など小説家としてアイヌを描くアイヌ人があらわれ,その背後でアイヌ語の保存運動が行われていく。 アイヌでめることが隠蔽の要素となるに従い,現代のカルチュラル・スタディーズなどは容易に「かわいそうなマイノリティ」を発見発掘して日本ナショナリズム批判に援用するが,アイヌがカルチュラル・スタデイーズの研究者による日本ナショナリズム批判のために存在しているのではないことから考えても,このあり方そのものがアイヌ差別を温存している側面は見逃せない。
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