本年度は昨年度の成果をもとに1・2をまとめ、キリシタン版『羅葡日辞書』とその典拠カレピヌスの関係のみに留まらず他資料を含めた考察へと展開させ、3および4のことを明らかにした。 1、宣教を意識した原典の改変 『羅葡日辞書』の日本語訳は原典カレピヌスに基づくポルトガル語抄訳と原典とを参照して作られたものであるが、日本イエズス会の編者たちが宣教を意識して改訳したとみられる箇所がある。 2、キリシタンの棄教を表すにうぶ」という語 「ころぶ」という語は、禁教政策が本格化した17世紀初めには、語義に基づき比喩的な表現として使用されており、その後の迫害の規模や峻烈さから、対象をキリシタンに限定した用法が短期間で定着したとみられる。 3、『羅葡日辞書』の錯誤と製作工程 『羅葡日辞書』現存諸本は、巻末の正誤表や印刷後の書き入れにより一部訂正されているものの、多くの誤りを含んでいる。これらの錯誤と訂正の分析から、原稿作成と印刷の複数の工程で誤りが生じていたこと、訂正作業もほぼ同時進行的に複数の段階で行われたことが推測される。 マノエル・バレト自筆『葡羅辞書』(1606-1607年写)は『羅葡日』を主要な典拠にしているが、『羅葡日』において訂正されている箇所について、訂正前と同様に誤っているものと訂正後と同様正しいものとの両方が見られることから、バレトが参照した『羅葡日』が現存する諸刊本と若干異なっていた可能性がある。 4、キリシタンの聖人崇敬 トレント公会議を背景にキリシタン時代日本にも聖人崇敬の教えが伝えられたが、戦闘時に聖ヤコブ(サンチャゴ)の名を叫ぶ習俗や聖書に見えない聖人の伝説なども伝わっていたことから、キリシタン時代受容されたキリスト教が中世の流れを強く受けていたこと、ポルトガル・スペインの地域色の濃いものであったことが明らかである。
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