今年度の当初の計画通り、近代語のヤル・クレル・モラウの三体系確立する過程を研究した。古代語には近代語のような三体系の授受動詞は存在しない。本動詞ヤルは「向こうへ送る」、クレルは「物の授受全般において、ヤルの意でもクレルの意でも使う」・モラウは「自分が乞い求める」という個々の意味を持つ独立した動詞であった。それが、室町時代中期あたりからテ形+補助動詞の形式で依頼のテクレ、意志のテヤロウ、願望のテモライタイの表現形式が発達し、その結果、主語や与格との関係に人称制約が生じ、一人称の視点が生じたのではないかと結論づけた。テクレ、テヤロウ、テモライタイの三語が揃って見られるのが近世前期の狂言資料である。一方、本動詞の方には時代の流れで意味の揺れが起こっていた。そのときテ形+補助動詞が急速に発達し、モダリティを表す用法で使用される状況が重なった。その勢いの強さが、本動詞にも影響を及ぼし、本動詞にも一人称視点が生じたのでないかと論じた。実質語である本動詞だけでなく、今までは機能語として役割しか注目されていなかった補助動詞にも独自の機能があることを指摘した。以上に関しては『日本語の研究』(第3巻3号(『国語学』通巻230号))にて論文発表をした。 また、中世期の指示詞や授受動詞と沖縄の方言とを比較すると、中世語の特徴を残している部分が沖縄の方言にあることや中世語が沖縄で独自に発達した部分とがあることが分かってきた。沖縄方言を通して日本本土をみると、日本本土で中世末期に生じた変化が近代語成立にどのような影響を与えたかを考える手がかりになる。このテーマに関しては、筑紫日本語研究会8月「琉球石垣方言のトールン・タボールンについて」(大分県九州国立大学九重共同研修所)と指示詞研究会・土曜ことばの会10月「沖縄県石垣市の指示詞」(大阪大学)とで口頭発表を行った。
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