本研究の目的として、大きく3つの課題を掲げていた。すなわち1鎌倉期延暦寺の集団訴訟の実態とその歴史的意義、2世俗権力との関わり、3宗教的側面の構造の解明、である。平成18年度は、当初の計画通り、1にあたる鎌倉期延暦寺の集団的訴訟について考察すべく、史料の博捜・収集と考察を行った。 鎌倉期延暦寺の集団訴訟とは、具体的には強訴であるが、鎌倉期に入ってそれ以前にはなかった強訴のカタチが登場してくることを重視し、その新たなカタチ、すなわち「閉門」と「閉籠」の実態を分析した。「閉門」とは比叡山全山規模で行われるストライキともいうべき訴訟形態で、張本の処罰がなく、また天台座主の登山による寺務の再稼働が必要な、ある種の正当性を世俗からも認定された行為であった。それは「閉門」登場直前に延暦寺内から堂衆と呼ばれる集団が排除されたことによって可能となった「満山」的秩序の体現でもあった。それに対し、「満山」ではなく小規模集団によって行われた「閉籠」は、堂舎に籠もって仏神事を退転させる点で「閉門」に似通っているが、張本追捕が行われ、大衆自身もそれを悪と認識していた点で大きく異なるものである。彼らは独自の意志を主張する必要に駆られるも、「閉門」のための「満山」結合を現実的に構成し得ず、世俗からも寺内からも悪と見られた「閉籠」を選択せざるを得なかった。 しかし、正当性をもち得ない「閉籠」では悪僧的行動に過ぎず、彼らは個別性を保ったまま如何に正当にカを発揮するかという課題に直面する。その回答として採用されたのが、寺の内外に対して機能し、集団の意志を強烈に反映させ得る集会事書であった。個別集団の意志は、集会事書のかたちで延暦寺内部に形成された集会の体系に沿い、寺院権力の上層へ到達し、外部の世俗社会にもカを及ぼし得る機能を発揮することができたのである。
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