本年度は、漁業・藻取りからみた湖面の利用について検討するため、琵琶湖岸の村落史料を中心に史料調査を行った。特に重点をおいたのは、先行研究がほとんど存在しない藻関係の史料調査である。 調査の結果、藻関係史料は一定数存在しているが、その大部分が明治初年度のものであることが判明した。かわって多数採取されたのが、湖岸の葭地利用にかかる興味深い近世史料群であった。従って、分析に葭地を加えることとした。 近世の琵琶湖では、漁業・藻取り・葭取りは、いずれも原則として自村の地先を利用することとなっていた。また、これ照に賦課される運上は、個別領主ではなく、大津代官(江戸幕府)に上納されていた。近世中期から後期にかけて、幕府は財政難から全国的に新田開発を試みるが、近江国では湖岸がその対象となり、個別領主や上記生業に従事する村々の反対にもかかわらず上知された。このように、近世の湖岸ラインは、江戸幕府によって進退が自由な場であった。ただし、実際の利用に関しては、各村に任されていたのが実状である。なかでも、今回新たに判明した葭地利用の多様性が注目される。葭地は、慣行として個人所持のもとにある場合もあるが、多くが村の総有である。また、村によっては、田畑所持面での極端な階層分解にもかかわらず、葭地を籔で平等に割替える制度を採用するなど、村落構成員の生活保障システムとして機能させている場合もあった。 以上の分析結果の一部は、「重要文化的景観」指定にかかる会議で報告し、報告書中の一論文として執筆した。現在、刊行を待っている段階である。
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