戦前の日本や満洲国における出版物、中国における考古学関連雑誌に掲載された論文、最近とみに数を増した中国の石刻・文物関連出版物などを調査して、契丹時代の石刻史料にかんするデータベースを作成し、その総体把握を行った。 石刻史料を用いた具体的な研究としては、北京西郊の戒皇寺に現存する碑文をはじめとする碑刻史料の訳注作業(訳注は未発表)と研究を行い、論文を発表した。これら碑刻史料を主な材料に、11世紀後半に契丹の南の都燕京郊外の寺院に大乗菩薩戒壇を開き、僧俗問わずたいへん多くの人々に菩薩戒を授けた法均という僧の事跡をあとづけ、従来ほとんど謎であった契丹における大乗菩薩戒流行の実態、とりわけ遊牧による移動生活を保持し続けた皇帝を中心とする契丹国家支配者集団における菩薩戒流行について重点的に論じ、契丹仏教における重要な側面を明らかにした。またこれらの碑文には、当時、南に隣接した宋から、国境を越えて受戒にやって来る人々がおびただしい数に上っていたというきわめて貴重な記述が残っており、11世紀平和関係にあった契丹と宋の間における交流の実態を論じた。 この両国間の関係については、両国国境にかんする研究を進め、2006年4月に開かれた史学研究会例会(共通テーマ「国境」)において口頭発表を行い、翌年1月に論文を発表した。この研究では、比較的豊富に残る宋代典籍史料を博捜して国境にかかわる史料を抽出し、1004年の漉淵の盟以後、平和共存体制に入った契丹・宋間に横たわる国境の自然環境や形態、管理制度、国境を越える人・モノ・情報の実態について明らかにした。その結果、ヨーロッパ史を中心とする通説により、ヨーロッパの主権国家登場以後に現れるとされてきた、それぞれの国家の統治のおよぶ領域が国境線によって明確に分割されるという現象が、11世紀ユーラシア東方でもみられたことが明らかとなった。
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