本研究は、「宋代以後、明清期にかけて、社会に礼教が普及した」とする「通説」に対して、明清の礼マニュアルや礼説、法律とその適用などから検証し、通説は修正が必要であることを明かにしたものである。上記の視角は、朱熹『家礼』の普及がその根拠となっていたが、本研究では、『家礼』普及の実例と位置づけられていた丘濬『家礼儀節』が、朱熹『家礼』の根本原理となっている儀礼の実践を否定した書であることを明かにした。また、殺死姦夫律の検討を通して、国制と法は道徳とは別個の論理をそれぞれもっており、三者が一体となって礼教化を進めるという構造にはなっていなかったことを明らかにした。
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