本年度は、アウレリアヌス帝の太陽神信仰とパルミラの太陽神との関係について考察を行った。アウレリアヌス帝は、軍人皇帝の一人で(在位270〜275年)、当時パルミラとガリアによって三分割されていたローマ帝国を再統一したのであるが、通説によれば、パルミラを打倒した際、アウレリアヌスはシリアのエメサ市で崇拝されていた太陽神を自らの戦勝に加護を与えたとしてローマに持ち帰り、巨大な神殿を建てて祀ったとされている。そして、このアウレリアヌスの行為は、キリスト教の国家宗教化の前段階として重要な歴史的位置付けを先行研究によって与えられてきた。しかし、アウレリアヌスの太陽神とエメサの太陽神とを結びつけるのは、史料的価値の疑わしい『ヒストリア・アウグスタ』だけであり、両者の関係性については、疑念が残る。また、より信憑性の高いビザンツ時代のゾナラスの史書によれば、アウレリアヌスは「ベロスとヘリオス(=ベール神と太陽神)」をパルミラ戦勝の後、問題の神殿に祀ったと伝えられており、アウレリアヌスの太陽神がエメサの太陽神ではなかったことを示唆している。本年度の考察の結果、アウレリアヌスの太陽神は、実は、パルミラで主神の位置を占めていたベール三位一体神の一人である太陽神ヤルヒボルであると考えるに至った。アウレリアヌスは、パルミラ戦勝の記念として、パルミラの主神をローマにもたらし、それを祀ることで、自らの偉大な功業を歴史に永続的に残そうとしたのである。したがって、アウレリアヌスの行為にキリスト教導入の先駆的な姿を認めることは出来ないのである。
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