本研究は、近代・前近代を問わず国家的アイデンティティの形成にとって重要な手段であった歴史叙述に着目し、とくに中世フランスの王国年代記を対象に、そこに現れる歴史認識の重層性を解明することを目指している。本年度の研究では、まずフランス王国の「正史」であった『フランス大年代記』が、13世紀後半の成立以後、王国における修史事業のなかでどのような位置を占めていたのかという点について、作成主体であったサン=ドニ修道院の13世紀末から14世紀初めにかけての史書編纂活動を検討することで明らかにしようと試みた。検討の結果、この年代記は何度かの修正を経ることで次第に国家の領域性と連続性に関する理論を精緻化させていくことに成功したが、依然としてその構成員を「王と諸侯」に限定したフランス史であったことが明らかになった。したがって「国家史」の歴史を明らかにする場合には、キリスト教的世界観からナショナルな存在を切り取って特別な存在へと位置づけていく「普遍年代記」から「王国年代記」へという歴史認識の変化とともに、[王と諸侯の」フランス史から「フランス国民の」フランス史へと変わっていく、国家観・国民観の変容についても考える必要があると思われる。そこで次に、このフランス人とは誰か、という問題に関して、14世紀後半のパリにおいて展開されていた支配エリートの定義と範囲を巡る議論に着目した。概括的な検討ではあったが、この時期の学識者たちの著作を検討することで、彼ら学識者たちは、王国廷臣、大学人、著述家、教会歴史家など様々な職種に従事しながらも、分別を持った理性的な存在であることを指標とする新たな社会集団として姿を現すや、直ちに「われわれ」を既存の支配階層とともにエリートのなかに位置づけ、「かれら」一般大衆との間に一線を画すような主張(「王と諸侯と学識者のフランス史」)を展開していることが明らかとなった。
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