研究概要 |
本研究は,西アジアの人々がローマ帝国中枢で大きな役割を果たし出す後2世紀末から3世紀初頭を中心に,帝国変容の実相を解き明かすことを目的としている。そこで,今年度は,西アジア地域で活動したギリシア文化人の活動の実態を解き明かすことに重点を置いた。 年度始めには,小アジア出身の元老院議員であり,ギリシア文化人でもあったアッリアヌスとディオ・カッシウスに焦点をあて,第一に,ローマ帝国の西アジア統治において彼らが実際に果たした政治的役割を検討し,第二に,彼らの著作の内容分析から,彼らがいかなる心性を有していたのかを分析した。その結果,彼らのようなローマ帝国第1支配層である元老院議員だけでなく,第2支配層である騎士身分に属したギリシア文化人に関しても,考察を加える必要が生じた。特に,皇帝や元老院議員身分と親交のあったギリシア弁論家層が,自身が基盤とした西アジア社会やその文化と,ローマ帝国中央公職への就任とをいかにして両立させることができていたのかという問題が浮上してきた。そこで,この問題に特化して,以後の研究を進めた。中でも,帝国西部出身でありながら,ギリシア文化圏にて弁論家として活躍したアルルのファウォリヌスに着目し,彼の出身地である南フランスにおいて,ギリシア植民市がローマ帝国支配下でいかに変容していったのかを考察した。2006年9月には南フランスのローマ遺跡を中心に実地調査も行った。 以上の研究成果の一部を,「元首政期ローマ帝国とギリシア知識人」という題目で,京都大学西洋史読書会大会にて発表した。小アジアやシリアの知識人層にとって,ローマ皇帝側近であるギリシア語書簡長官職への登用が,ギリシア文化こそを至上とする自らの心性と矛盾していないばかりか,むしろ,ギリシア文化圏における最高の栄誉を意味していたこと,この点こそがローマ帝国の「ギリシア化」の端緒となったことを明らかにした。
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