研究概要 |
本年度は, 2世紀にローマ帝国の「文化首都」的位置にあったギリシア本土のアテナイに注目し, 西アジア出身者がこの文化首都化にどのような影響を与えたのかを中心として, 研究を進めた。 まず, 西アジアに位置し, 後1世紀後半にローマ帝国に併合されたコンマゲネ王国, とりわけ, その最後の王アンティオコス4世の孫フィロパップスに焦点をあてた。この人物は, 西アジア, ローマ帝国中央, アテナイの三つの世界にまたがる重層的アイデンティティを有していたが, 従来, アテナイの地方有力者としての立場ばかりが強調されてきた。しかし, 本研究における検討の結果, 実は彼とその一族は, 西アジア出身者がローマ帝国中央政治支配層に取り込まれていく文脈の中でこそ第一に理解すべきこと, また, 彼がアテナイへ深くかかわっていく背景には, ギリシア本土に対する西アジア出身者の独特の文化的劣等感があったことが明らかとなった。 さらに, この結果を踏まえて, 他のコンマゲネ王家王族や, 西アジアに散在した諸従属王国の王族たちについても考察対象を広げ, ギリシア文化圏と土着文化の狭間にいた西アジア出身者たちこそが, 元老院議員身分や騎士身分へ進出していくことで, ギリシア本土とローマ帝国とを結びつけていったこと, 2世紀にアテナイが文化首都化していく背景にもこれら西アジア出身者たちの文化的劣等感があったことなどの認識も得ることができた。 以上の研究成果の一部を発表した論文が, 「元首政期ローマ帝国におけるギリシア世界の変容-東部出身元老院議員の台頭とアテナイ」(笠谷和比古編『公家と武家IV官僚制と封建制の比較文明史的考察』所収, 2008年)である。また, この研究課題を遂行するにあたって得た認識は, 2009年5月発行予定のラテン語史料『ローマ皇帝群像3』の担当部分訳出にあたっても生かされてのる。
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