前年度のボーリング・発掘、および既往の調査によって京大構内遺跡で得た、白川弥生土石流の堆積物粒度分析データを比較し、以下の解釈をした。(1)窪地には土石流直前に水溜まりがあった可能性があり、土石流の誘因に降雨を想定し得る。(2)土石流に先行して河道の水流が弱まった可能性がある。(3)土石流は広い範囲で少なくとも2波が流れ下った。(4)第1波よりも第2波の方が包含砂礫が大きい地点とその逆の地点とがあったので、第1波は広く弱く第2波が狭く強かった可能性がある。 さらに、京大構内遺跡の既往の発掘成果を再検討した結果、京都白川の土砂移動は、縄文時代後期中葉・後葉、晩期中葉・後葉、弥生時代前期末の活発化がうかがえ、200〜500年周期という見通しが立った。 大阪湾北岸や播磨灘に注ぎ込む河川の流域での土砂移動については、縄文晩期〜弥生中期の初期農耕前後の時期に、頻発していたことが確認できた。特に、上流に花崗岩地盤をもつ沖積平野の遺跡の場合、京都白川と同じく弥生前期末の類例が目立ち、その土砂移動によって土地を離れたり地点を移動したりする例が多いことがわかった。ただし、この時期の堆積土砂は厚みは京大構内遺跡の半分以下で巨礫も含まず、土砂移動の規模は白川弥生土石流の方がはるかに大きい。植生は白川と同様だが上流域の他の素因も吟味し、誘因と併せて原因を比較検討する必要がある。初期水田については、基盤に帯水層がある比較的広い窪地の緩傾斜を利用して営まれる傾向があるが、その基盤とは、白川モデル同様に、上流から供給される土砂の質・量の違いによって形成される、自然堤防と後背湿地の組合せであることを確認できた。基盤層の堆積は、縄文晩期の中葉や後葉になる例が複数存在し、弥生前期末の土砂移動も次代の可耕地の基盤形成に寄与している。白川モデルと比べると、土砂移動周期は対比可能だが、規模の違いがその後の土地利用に差を生じさせたようだ。
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