京都市の白川扇状地における弥生前期末の土石流堆積物の地点別粒度分析データを基に、その土石流が複数地点で複次的に流れたことを明らかにした。堆積物の粒度特性の垂直変動を複数地点で解析するこの作業は、文字記録のない大規模土砂移動現象の様態解明に供するだろう。また、白川扇状地での先史土砂移動を網羅的に検討して、谷の埋積が進んだ縄文前期後半から河川氾濫が増加することや、谷の埋積以前では1000〜1500年間隔で土石流が発生していたことを明らかにした。この成果は、花崗岩地帯での自然状態での土砂移動の頻度予測として、現代の防災活動に貢献し得る。 瀬戸内の諸平野の研究では、北部では近畿と同じく縄文後期中葉・晩期後葉・弥生前期末に氾濫が目立つのに対して、南部では土砂災害例が希少なことがわかった。植生は変化しないので、氾濫頻度の差異は、地質や植生や気候よりも、平均勾配や河川密度など河川ごとの特性に関わると思われる。 瀬戸内南部の平野は、縄文後晩期は、上方細粒化する堆積物の層厚が大きく面積も広いので、蛇行河川による氾濫原と思われ、遺構面も形成されない。弥生前期は、遺構埋土が土壌化層になるので、氾濫原の陸化が進行している。弥生前期までには掘削が始まっていた深い環濠は、埋土が砂層ではなく粘土質なので、治水対策よりも居住域の乾燥化を目的としたのだろう。初期農耕期の集落立地においては、白川モデルの網状河川地帯とは異なる蛇行河川地帯の故か、微高地上でも河川流向への意識は薄い。その後、弥生中期中葉を境に集落分布の変化があるが、当該期には、高松平野で、下流域での噴砂の他に中流域での同時期の河川氾濫も認められるので、自然災害もその遠因と想定できる。
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