古墳時代前期の墳墓の土器祭祀について、便用される土器の種類、穿孔や赤色顔料の塗布などの二次的な加工の様態、使用痕といった各属性から検討し、土器の出土状況と併せて復元的に解明する研究を行っている。 今年度は近畿地方の墳墓祭祀にみられる土器の穿孔について、八尾市恩智遺跡、久宝寺遺跡、大阪市加美遺跡などで出土した資料をもとにして検討した。 弥生時代中期の近畿地方の祭祀土器にみられる穿孔は、直径5〜10センチの円形のものが多く、胴部の下半に施す傾向がある。弥生時代後期の穿孔は胴部の下半に施され、1〜2センチ程度の円形のものと、2センチ程度の縦に細長いものとがあり、後者は先端の鋭利なもので刺突することで孔を穿つ。これらの土器は墳丘の下から見つかることが多いが、元来、墳丘上に置かれたものとみられる。 庄内式期になると胴部に穿孔を施すもののほか、底部に施すものが出現する。前者には弥生時代後期のものと同じ2タイプがあり、小・中型の壺に施される。一方後者は、中・大型の二重口縁壺や直口壷に多く認められ、直径5〜10センチと大きめの円形穿孔が施される。底部を穿孔する祭祀土器は墳丘上に立てられた状態で見つかっており、安定して墳丘上に置くことを目的として大きな穿孔を底部に施していた可能性が高い。このような底部の穿孔は布留式期に到って、あらかじめ焼成する前に底部を抉るものへと変化する。 これまでの研究から特殊器台・壼や埴輪は吉備地域からの影響であることが分かっているが、中・大型の二重口縁壺や直口壷を底部に穿孔を施して墳丘上に配置する祭祀形態は、近畿地方で発展した土器祭祀の系譜として考えられる。
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