研究概要 |
研究二年目の今年度は前年度の文献によるデータ集成作業を踏まえ,国内や大韓民国扶余、慶州地域出土火葬墓資料の実見や図面作成をおこない,出土遺跡周辺の実地踏査をおこなった。 これらの調査を通じ,特に韓半島における火葬墓について,(1)墓の立地,(2)骨蔵器と出土遺構,の2点について新たな知見を得た。 (1)扶余・慶州の火葬墓は立地の点から見て,都城制と密接に関わって葬地が設定されていた可能性を見出した。これは日本の藤原京・平城京周辺の葬地の様相に似ているという見通しを得た。これにより,日韓における火葬墓の造営は都城制・律令制の影響を受けていた可能性を考えた。 (2)(1)に対し,目蔵器や埋納施設などの様相では異なる部分が見られた。慶州周辺の火葬墓では独自の骨蔵器を採用している点,扶余周辺の火葬墓では日本の骨蔵器との類似性が高いものの,それは都城周辺よりも畿内の周辺地域や九州との共通性が高い点が見られた。これらは(1)でみた都城制・律令制とは異なる伝播背景の存在を示している可能性がある。 以上の結果,日韓の「火葬」受容の背景には都城制や律令制などの政治的な背景が関わっていること,そして,伝播の背景は一つではなく,複数の要因が存在しているという考えを持つに至った。これらの課題の検証が次年度の課題である。 この他,引き続き報告書による資料収集をおこない,集成データの充実につとめた。 また,従来の研究成果の一部を「奈良県葛城市三ツ塚古墳群・古墓群の形成過程」として論文にまとめた。加えて,国内でおこなわれた研究会への参加・博物館の訪問を通じ,資料調査や研究者との意見交換をおこなった。 次年度は,補足調査をおこない,2年間の研究成果をふまえ,古代東アジアにおける火葬習俗の伝播過程とその背景について考察をおこないたい。
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