今年度は、1970年代のパリにおける都市計画事業を中心に資料収集・分析を行った。比較的近年であるため、まだアルシーヴが整理されていない状態にあり、困難もあったが、レ・アルやボーブールなどのプロジェクトに関する文献などは逆に手に入りやすく、また新聞記事などは各種手に入れることができた。また、映像資料がかなり保存されている時代に入っているので、映像に関する分析も進めることができた。DVDも10本ほど購入することができた。 フュゾー規制に関しては、日本では数人の研究者が熱心に調査していることからよく知られているが、パリ市役所の都市計画部の誰に聞いてもよく知らないかなりマイナーな規制であることがわかってきた。とはいえ、PLUと呼ばれる新しい都市計画の策定に当たっている建築家のみがそれを知っていたため、彼と直接話をすることができ、逆に利益を受けることもできた。また、彼が最初の時代のフュゾーの資料を全て手元においていたので、それをコピーさせてもらうこともできた。 この作業をすすめる中で、パリのマレ地区の事業と他の都市計画の密接なっながりが見えてきた。これを踏まえてマレ地区の60-80年代についてまとめたのが、「歴史的街区で何を保護すべきか-マレ地区保存をめぐる市民の認識と政策の展開」『都市地理学』第2号pp.33-45である。60年代から始まるマレ地区の事業に関しては、数年前から取り組んできた(成果の一部を2006年11月に出版)が、こちらは戦前のパリや植民地都市における事業と関連していることも見えてきた。特に都市計画を担当した建築家同士のつながりや思想の流れは、第五共和制下のパリの都市計画全体に強い影響を残しており、人文地理学会でそれを発表した。 来年度、メガ・イヴェント招致を巡る都市計画の流れとともに、現在話題になっている「不衛生街区」事業に関して調査し、さらに知見を得る予定である。
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