本研究は、エスニック・マイノリティが民族的ナショナリズムを形成するプロセスにおいてミス・コンテストが果たした役割について照準をあてつつ、システマティックな研究を行うことによってナショナリズムとジェンダーについての文化人類学的研究をおこなうものである。本年度は、アメリカ合衆国南西部に位置するナヴァホ・インディアン居留地にて現地調査によるデータ収集を重点的に行い、事例研究を深化させた。 近年、ナヴァホ・インディアン社会では、民族独自の文化的価値観を前面に押し出した行事が奨励されるようになった。その背景には、1970年代に圧倒的な強さをもって流入してきたアングロ系主流社会の文化的価値観に対抗し、自らのエスニシティを強化しようとする文化復興への動きがある。このような動きを受けて、「美人コンテスト』として1950年代に始まったミス・ナヴァホ・ネイション・ページェントは、1970年代に大きな変貌を遂げた。ナヴァホのミス・コンテストにおいて、女性の「容姿」が重要な審査項目ではなくなり、主流社会で見られるような「西洋的」な女性美が披露される場ではなくなったのである。ミス・コンテストは、ナヴァホの民族性を代表する知性と教養、伝統文化への知識と伝統を実践できる高度な技術を兼ね備えた女性を、7日間におよぶ厳しい公開審査を経て選び出す文化・政治的行事となった。そして、ミス・ナヴァホ・ネイションの栄冠を勝ち取った女性は、ナヴァホ政府と1年間の雇用契約を結び、文化・教育・福祉・環境問題に対する活動に取り組むことが要求されるようになったのである。1年の任期とはいえ、ミス・ナヴァホ・ネイションの活動に対する民衆の期待は大きい。これには、ミス・ナヴァホ・ネイションが近代的な地位であり、役割であるにもかかわらず、「変わる女Changing Woman」とよばれるナヴァホの主たる女神の化身とみなされることから、ナヴァホの民族的ナショナリズムを象徴する存在となっていることが深く関連している。
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